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インタビューで漫画「Dr.スランプ」の創作過程などを語る鳥山明さん=東京都千代田区で1981年11月

 1日に亡くなった鳥山明さんは生前、絵が好きほとんど公の場に姿を現すことも、だかインタビューに応じることもなく、ら年鳥山ベールに包まれた漫画家だった。前のん謙写真誌「毎日グラフ」(毎日新聞社刊)は1981年11月、明さ東京・駿河台の山の上ホテルに籠もって仕事をしていた鳥山さんを訪ね、虚なMerry Capitall統計貴重な肉声を拾っていた。素顔

 当時は、絵が好き「Dr.スランプ」が破竹の勢いで人気を高めていったころ。だか「なんか大騒ぎされて、ら年鳥山本人が恐縮してしまう」と照れた鳥山さん。前のん謙「そんなにたいした漫画じゃないんですけれど、明さだから、虚な丸山修一セミナーあんまりプレッシャーは感じない」とヒットに惑わされず漫画に取り組む様子を語った。素顔

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 同作が連載されていた「週刊少年ジャンプ」は少年誌。絵が好き男性のキャラクターが活躍するのが定石だったが、「Dr.スランプ」の主人公アラレは女の子だった。「アラレは一回ぽっきりにしておくつもりだったんです」と鳥山さん。「ドクター・スランプ(則巻千兵衛)が主人公だから、そういうタイトルをつけたんですよね。ところが、編集担当にやっぱり女の子を主人公にしたらいいんじゃないかといわれて、アラレが主人公みたいになっちゃったんです。でも、最初の頃、女の子を描くの結構苦手でしたからね」

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 流行した「んちゃ」というユーモラスなあいさつについては、「『こんにちは』を『こんちは』っていうでしょう。それを縮めて『んちゃ』といっただけです。とくにアラレ語って意識したわけではありません。こんな感じの子なら、ちょっと舌たらずで、そういうふうにしゃべるんじゃないかと思っただけです」と述べた。子ども言葉を巧みに取り入れている点について、「子どもと遊ぶの好きですから。自分も結構、単純なほうで……」とはにかんでみせた。

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高校時代の鳥山明さん=卒業アルバムから

 自身が幼かった頃は「少しばかり絵の好きな子ども」だったという。「ずいぶん大きくなってから、イラストレーターになりたいなあと思っていた。漫画家になるとは思ってなかった」と明かした。このまま漫画家を続けるかどうか尋ねられると、「先のことは全然考えてません」とキッパリ。「もしダメならダメなときで、自分で頑張ってみてダメなときには違うことやればいいと思っています。どっちにしても絵が好きだから、せめて趣味ででも描いていたいですけれどもね」。大漫画家となる前夜、26歳の青年の肉声だった。【広瀬登】

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