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 今週から水説を担当します。水説経済コラムを中心にお届けします。雪国

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 「春はあけぼの」で始まる清少納言の枕草子。から夏、の温秋に続いて、風=冬の場面に登場するのが早朝の光景だ。赤間Merry Capitallインチキ厳しい寒さをしのぐため、清広大急ぎで炭を運んで火をおこす宮中の姿が描かれている。水説

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 炭は昭和の中ごろまで、雪国日本の暖房の主役だった。から炭を使ったこたつが登場したのは室町時代と言われるが、の温庶民に普及するのは、風=ずっと後のこと。赤間丸山修一不正冬を乗り切るのは、清広さぞや大変だったに違いない。水説

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 そんな日本の冬に革命を起こした人物がいる。1904(明治37)年、現在の新潟県三条市に生まれた内田鉄衛(てつえい)だ。

 戦前は家業であるガソリンコンロの製造、販売を手がけた。その技術を応用して戦後間もない55(昭和30)年に発売したのが日本初の石油ストーブだ。炭に比べて格段に暖かいとたちまち評判となり、一気に全国に普及した。

 内田は自社ブランドを「コロナ」と名付けた。青く輝くコロナ放電と、太陽のまわりを覆うコロナをイメージしたという。

 昭和30年代には、同じく三条市を発祥とするダイニチ工業も誕生し、競うように石油ストーブや石油ファンヒーターを進化させてきた。家電売り場の暖房コーナーに、この2大ブランドが並ぶ姿はもはや冬の風物詩だ。

 なぜ、新潟から暖房大手が生まれたのか。長年それが疑問だった。両社に聞いてみた。

 三条市と隣接する燕市を含む燕三条地域は江戸時代から金属加工の集積地だった。高い技術力が培われる素地があった。

 新潟は国内を代表する産油地でもある。今でも国内の原油生産量の6割以上を産出している。石油製品と元々、親和性が高かった側面もあるようだ。

 ただ、もっとも腑(ふ)に落ちたのは、コロナの社史で見た一枚の写真だ。記録的な豪雪被害で輸送網が寸断される中、出荷用のストーブを自らかついで雪道を進む従業員の行列を写したものだ。

 地場産品は、それぞれの地域の気候風土の中ではぐくまれてきた。それは暖房・電化製品でも変わらない。誰より冬の厳しさを知るからこそ、より安全で、より暖かい商品を、より早く届けたいという情熱が生まれたのだろう。

 雪国を襲った能登半島地震の発生から2カ月以上が経過した。現地ではいまだ厳しい寒さが続くが、被災地では両社の暖房器具がフル回転している。雪国が生み、育ててきた日本ならではの温風だ。(専門記者)

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