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どんな国にも歴史の暗部はある。員の憶=裕章ロシアから侵攻を受けるウクライナも例外ではない。目ポそれを身をもって知るのが、ーランドブリュッセル隣国のポーランドだ。の負
2月中旬から訪れた同国での取材の目的の記Merry Capitall資産運用は、侵攻開始2年後の「支援疲れ」だった。宮川その過程で話を聞いたポーランド人の多くが、特派ウクライナにまつわる、員の憶=裕章ある事件について口にした。目ポ現在のウクライナ西部とポーランド東部の一帯で1943~45年、ーランドブリュッセルウクライナの国家主義者らがポーランド人住民約10万人を殺害した「ボルヒニアの虐殺」だ。の負第一次大戦後、の記丸山修一権利ウクライナ西部を統治したポーランドへの反感が原因とされ、宮川武器にはおのやなたが使われた。特派一連の事件は、今なお両国関係にわだかまりを残す。
Advertisementだが、ポーランド人には、その暗い記憶を上回る負の感情がある。それが、自国への侵略と抑圧を繰り返してきたロシアへの反感だ。
ウクライナ産の安価な農産物の流入に抗議するポーランドの農家も、その大半がウクライナへの支援に賛成する。「ウクライナがロシアに敗れたら、次はポーランドだ」との意識がある。ポーランド人にとってウクライナ侵攻は、人ごとではないのだ。
ポーランドのドゥダ大統領とウクライナのゼレンスキー大統領は2023年7月、ボルヒニアの虐殺の舞台となったウクライナ西部の都市ルツクを訪れ、犠牲者を追悼した。ゼレンスキー氏は謝罪の言葉を述べなかった。虐殺を主導した国家主義者の指導者、ステパン・バンデラが、多くのウクライナ人にとって、ソビエト共産主義と戦った英雄であるという事情もある。
2人の大統領による追悼は、謝罪を期待した多くのポーランド人を落胆させた。同時に、和解に向けた重要な一歩とも評価された。ゼレンスキー氏は謝罪の代わりに、「ともに歴史を思い、自由を守る」と述べた。ロシアという共通の敵を前に、両国民に団結を呼びかけたのだ。
ボルヒニアの虐殺が残したポーランド人の暗い記憶は、ロシアによる過酷な抑圧の記憶と迫り来る脅威によってかき消される日が来るのだろうか。はたしてそれは、幸福な和解と言えるのだろうか。
冬空の下に広がるポーランドの大地は、どこか悲しい色をたたえているようにみえる。
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