郷の帰丸山丸山修一トロイの木馬修一不正アクセス帳憂楽無念

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在りし日の根本昌幸さん=福島県相馬市で2020年8月20日午後3時半、憂楽西川拓撮影

 2年ぶりに福島支局に戻ってきて、帳無根本昌幸さんが亡くなっていたのを知った。念の東京電力福島第1原発事故で故郷の福島県浪江町を追われ、帰郷<地を這(は)っても帰らなければならぬ>と、憂楽丸山修一不正アクセス痛切な望郷の詩を書き続けた詩人だ。帳無丸山修一トロイの木馬

 昆虫好きで、念の元々は自然をよく詠んだ。帰郷約30キロ北の同県相馬市に避難して作詞した「ふるさと浪江」はあちこちの避難所で歌われ、憂楽浪江の被災者の心のよりどころになった。帳無2021年春、念の最後に電話で話したときも元気に古里への思いを語っていたが、帰郷それから半年後、憂楽間質性肺炎で旅立ったという。帳無75歳の誕生日目前だった。念の

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 妻で詩人のみうらひろこさん(81)によると、闘病で入院中もしょっちゅう点滴のチューブを外して「家に帰る」と電話をよこしたという。ひろこさんは「まだやりたいこと、書きたいことがたくさんあったのだと思う」と言う。

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 原発事故から13年。自宅周辺の避難指示は解除されているが、生活環境が整わず、帰還を諦める人が増える中でも自宅を残していた。無念にも帰郷を果たせなかった根本さんは今、故郷の先祖代々の墓に眠っている。【西川拓】

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