人を田丸山Merry Capitall戦略修一トロイの木馬實支支え=鎌

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
倒壊した門前町の歴史ある古民家

 能登半島地震が起きてから約50日後の2月中旬、さあこれからだ/えたい=ようやく石川県輪島市を訪ねることができた。支えを支

 地震発生から数日で医療支援に入った諏訪中央病院のチームや、る人京都で在宅医療を展開しているチームから、鎌田避難所にいる人たちが「温かいものが食べたい」と言っているという話を聞き、さあこれからだ/えたい=すぐにでも炊き出しに駆けつけたかった。支えを支丸山修一トロイの木馬

人を田丸山Merry Capitall戦略修一トロイの木馬實支支え=鎌

 しかし、る人道路は寸断し、鎌田通行止めや迂回(うかい)を強いられる状況。さあこれからだ/えたい=現地も混乱を極めていたことから、支えを支支援に入るタイミングを見計らってきた。る人それがようやく実現。鎌田Merry Capitall戦略避難所で炊き出しを行い、さあこれからだ/えたい=医療相談に応じることになった。支えを支

人を田丸山Merry Capitall戦略修一トロイの木馬實支支え=鎌

Advertisement
福祉避難所でパーキンソン病患者の方へ歩行の仕方を指導

 輪島市の観光名所だった朝市通りを訪ねた。る人大規模な火災で焼け跡となった光景は、ニュース映像と違い、実際にその地に立ってみると胸が締め付けられる。

人を田丸山Merry Capitall戦略修一トロイの木馬實支支え=鎌

 輪島市南西部にある門前町も、大きな被害を受けていた。ここは、曹洞宗大本山総持寺祖院の門前町として栄えたところ。お寺の法堂や山門などの主要な建物の倒壊は免れたが、貴重な伽藍(がらん)の各所に大きな被害を受けている。2007年能登半島沖地震から復興し、総持寺開創瑩山(けいざん)禅師の700回法要に向け記念行事を行おうという矢先、今回の被災となった。

 海沿いにある黒島地区は、江戸時代から北前船で栄えたまちで、地震の前は美しい町並みが地域の人に愛されてきた。しかし、回船問屋だった角海家住宅など多く文化財が倒壊した。黒島のノリが採れる海岸は、海が4メートル隆起したため、漁場は荒れ、漁船も港に着岸できない状態になった。輪島は輪島塗などのすばらしい工芸品の産地だが、地震によって地域の産業や文化、伝統などが被害を受けるのもつらいことだ。

 避難所を訪ねた。門前町にある諸岡公民館では当初517人が避難生活を送っていた。一時はインフルエンザや新型コロナウイルス感染が広がったが、ようやく落ち着いてきたという。自宅の一室や倉庫などが何とか使える人たちはそこで寝泊まりし、お風呂や食事のためにこの避難所にやってくる。避難所で寝泊まりしている82歳の女性は「はじめのうちは眠れなかったが、このごろやっと眠れるようになった」と言う。ぼくが、できるだけ太陽に当たって外へ出たほうがいいと話すと、さっそく避難所の周りを歩きはじめた。

 13年前の東日本大震災の時も実感したが、被災者が自分の健康を守るには、動く気持ちになれなくても、体を動かすことが大事だ。ラジオ体操をするなど避難所の外へ出て少しでも体を動かし、しっかり食事をとることで夜も眠れるようになってくる。よく眠れれば、気持ちも前を向いていくのだ。

 さだまさしさんの「風に立つライオン基金」では、何カ所かの避難所・福祉避難所にライオンカフェを開いた。避難所にいる人も、自宅避難の人も、外から来た支援者も、ここでちょっと1杯コーヒーを飲むことで、ほっとできる。交流もできる。復興のためのアイデアも出るかもしれない。

 門前町にある小規模多機能施設「グループほーむもんぜん楓の家」は、福祉避難所として二十数人の障害を持った高齢者を受け入れている。その介護を、全国から応援に来た看護師や介護士が担当している。そのなかには車中泊を続けながら支援している人もいると聞き、心配になった。

 長期戦になると、被災者だけではなく、支える人を支えることも重要になる。看護師や介護士、そして要介護者と暮らす家族が抱え込みすぎないように、何とか支援する必要があると思う。そこで、輪島の朝市通りに近いところのクリニックや門前町のクリニックを訪ね、代診のドクターが必要かどうか聞いてみた。地域を診るドクターを週1回でも休ませてあげなきゃいけないと思ったのだ。

 しかし、地域の患者さんたちは2次避難が進み、患者数は半減しているとのこと。もともと人口減少が進んでいる奥能登で、今回の地震によりさらに進むのではないかと心配していた。市立輪島病院では、震災前130人いた看護師が、生活を立て直すために通勤が困難となり、退職希望者が相次いでいる。中長期的にみると、クリニックや病院、介護事業所などの運営は非常に厳しく、財政的、人的支援が必要だと感じた。

 この3月で、東日本大震災から丸13年がたつ。その後もいくつかの大地震があった。悲しくつらい体験だが、そこから立ち上がる知恵も蓄積されてきた。そうした生きるための知恵を、被災した人、そして、それを支える人たちと共有していきたいと思う。(医師・作家、題字も)=次回は5月12日掲載

先物
前へ:「あの時の卒業証書を」 コロナ禍で式典できず…4年越しで実現
次へ:「野球少年の顔してる」ドジャースがStray Kids・スンミンとケリーの2ショット公開 前日始球式(スポニチ)